2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
フォト
無料ブログはココログ

« 2016年1月 | トップページ | 2016年3月 »

2016年2月の記事

2016年2月28日 (日)

篠山マラソン1週間前と東京マラソン

本日は東京マラソンや姫路城マラソンの開催日。

とりあえず、9時になるとサンデーモーニングからチャンネルを東京マラソンに変え、しばしTV観戦。2時間10分を切れない日本人ランナー・・・・。男子マラソンの選考も混沌としてきた気配。その中で大学生の活躍は光明。特に青学はスゴイ・・・・・。リオは無理だが、東京には何とかなるか??

そして、知り合いのベテランランナーさんの活躍は刺激になった。50歳をこえてあのタイムはまさにレジェンド!今まで、エントリーすらしたことがなかったが、来年は考えてみようかな?

ボクの方は篠山マラソン1週間前につき恒例の10kmのペース走(17'53-17'49=35'42)。

気温は高めなのでよいコンディションだったが、南風がきつかったか。

次男のインフルエンザの影響か月曜日からボクも鼻水が出たり、喉がイガイガする・・・・・。テンション下がるわ~。

2016年2月24日 (水)

『王とサーカス』 米澤穂信

Photo

amazon紹介文より

2001年、新聞社を辞めたばかりの太刀洗万智は、知人の雑誌編集者から海外旅行特集の仕事を受け、事前取材のためネパールに向かった。現地で知り合った少年にガイドを頼み、穏やかな時間を過ごそうとしていた矢先、王宮で国王をはじめとする王族殺害事件が勃発する。太刀洗はジャーナリストとして早速取材を開始したが、そんな彼女を嘲笑うかのように、彼女の前にはひとつの死体が転がり……。「この男は、わたしのために殺されたのか? あるいは――」疑問と苦悩の果てに、太刀洗が辿り着いた痛切な真実とは?

『さよなら妖精』の出来事から10年の時を経て、太刀洗万智は異邦でふたたび、自らの人生をも左右するような大事件に遭遇する。2001年に実際に起きた王宮事件を取り込んで描いた壮大なフィクションにして、米澤ミステリの記念碑的傑作!

続きを読む "『王とサーカス』 米澤穂信" »

2016年2月23日 (火)

発熱

月曜日の朝に少しジョグをしようと家を出ようとした。その時いつもより早く次男が起きてきた。いつもより赤い顔をしている。おかしいな、と思い体温を測らせると38.8℃。Σ( ̄ロ ̄lll)

とりあえず、ジョグを中止し、冷えピタを貼って再度寝かしつける。

妻は夜勤の為不在。ボクは職場に連絡して休みを頂くことに。小学校にも学校を休むことを連絡し、病院へ行くと・・・・・。

続きを読む "発熱" »

2016年2月22日 (月)

猫の日

本日は2月22日ということで猫の日。久しぶりに我が家の愛猫に登場してもらいます。

撮影をお願いしたいのだが、就寝中・・・・。こっちが用がある時に知らんぷり。それが、猫です!

Img_1693

先日、知人と、別大マラソンの話をして、そのあと「ネコはどう?」と聞いてきたので「うん、元気にしてるよ」と答えたが、知り合いは“猫ひろし”が走っていたかどうかを聞きたかったらしい・・・・・。


本日のランは諸事情のためOFF。なぜって?それは・・・・

2016年2月21日 (日)

断捨離

人生も前半が終わりまして、そろそろ身の回りのものを片付けていかねばと思い始めた。

1月からはタンスの整理。ここ数年着ることのなかったスーツやジャケットなどをオークションに出品したり、捨てたりした。


先週からは本の整理に着手。これが自分にとっては一番の大仕事。今住んでいる家には最低限の本しか置いていない(スライド付きの本だな1個分)。これを捨てるなどして、半分ぐらいにまず減らした。

さらに実家の一部屋を本部屋にしているのだが、これを整理。

Img_1688

スチール製の本だな3つ分とカラーボックス1つ。さらに段ボール箱に入れている沢山の本・・・・・。

もう、ほとんど手放します。価値がないと思われる本や雑誌は捨てるとして残りは段ボールに詰めて、古本を買い取ってくれる業者に送るつもり。

まだまだ、終わりそうにないが、ボチボチやっていきます。


本日の早朝ジョグ10km。

今月号の『ランナーズ』を昨日読んだ。「お尻の痛み」の特集に注目。ボクと一緒の症状。梨状筋周辺の痛みと坐骨神経だが、その対処法が興味深かった。

知ってるランナーさんが福岡国際マラソンでのインタビューに載っていたので驚き、防府マラソンのスタート直後の写真にボクが写っていたことでさらに驚いた!

2016年2月17日 (水)

『ラオスにいったい何があるというんですか?』 村上春樹

Photo_2

amazon紹介文より

「旅先で何もかもがうまく行ったら、それは旅行じゃない」
村上春樹、待望の紀行文集。
アメリカ各地、荒涼たるアイスランド、かつて住んだギリシャの島々を再訪、長編小説の舞台フィンランド、信心深い国ラオス、どこまでも美しいトスカナ地方、そしてなぜか熊本。
旅というものの稀有な魅力を書き尽くす。写真多数を収録。

続きを読む "『ラオスにいったい何があるというんですか?』 村上春樹" »

2016年2月13日 (土)

参観日

昨日は午後から休みを取らせていただき、次男の小学校の授業参観をしてきた。あいにく妻は仕事の休みが取れない、とのことでボクの出番となった。

3週間ほど前から、家でよく歌を歌っていたので、何か関係しているのだろうと想像はしていた。「何をするの?」と聞いても、「秘密」と答えるばかり。まぁ、当日のお楽しみにしておくか、あれこれ想像しながら小学校へ向った。

いつもの教室ではなく、大きな特別教室で3年生全員が集まっていた。そして始まったのが『3年とうげ』の歌芝居だった。

P1320130

延々と歌が続く・・・・。途中でキャストが出てきて即興の芝居を演じる。そして、また歌・・・・。時々ソロも入る。よくもまぁ、こんなに覚えていることやら、とこの時点では感心。

P1320137

終わってから時間が余ったので、児童の感想を先生が聞き始めた。積極的な子は手を挙げて自分の思いを包み隠さずに吐露していた。次男は手を挙げず、何も言わなかったが・・・・。

子どもたちの発言から、みんな緊張していたことが伺え、とても一生懸命この日のために練習していた、ということが目に浮かんだ。その瞬間、ウルっときてしまった。

別大のゴール後、今回の参観日、最近涙腺が緩んできた。齢かなぁ~・・・・・。


本日の早朝ジョグ13km。明け方雨が降っていたようだが、ジョグの時は曇。今日は暖かかったので、少し発汗あり。

あっという間に、篠山3週間前。調整時期に突入してしまった。フルマラソン、中4週間の間隔は慌ただしく、次のレースの調整のみになってしまう。まぁ、フルマラソンのレースが大きなポイント練習の一つと捉えているけど・・・・。

明日は、早朝から夜遅くまで仕事なので走れないし・・・・・。

2016年2月11日 (木)

『スクラップ・アンド・ビルド』 羽田圭介

Photo

amazon紹介文より

「早う死にたか」毎日のようにぼやく祖父の願いをかなえてあげようと、ともに暮らす孫の健斗は、ある計画を思いつく。日々の筋トレ、転職活動。肉体も生活も再構築中の青年の心は、衰えゆく生の隣で次第に変化して…。閉塞感の中に可笑しみ漂う、新しい家族小説の誕生!第153回芥川賞受賞作。

続きを読む "『スクラップ・アンド・ビルド』 羽田圭介" »

2016年2月10日 (水)

48歳1ヵ月10日でゴールを決めたカズに学ぶ「加齢」との戦いは「常識」との闘い

今シーズンの前半に故障やモチベーションの低下で「もうダメなんじゃないか?」という意識にとらわれていた。その頃は、ブログを書く気も起らず、ほったらかしにしていたことからも、ボクの精神状態を想像できるのはないでしょうか?

その時に読んだコラムを思い出したので、アップします。読まれた方も多いと思いますが、ボク自身、今このコラムを改めて読み返して、考えさせられるものがあります。



 『ランナーズ』2015年6月号より

人間は必ず老いる。死に向かって生きていく。老いは死につながっているから、たいてい人を寂しく、悲しくさせ、恐れも抱かせる。
 だからなのだろう。止めようがない老いに抵抗するかのようなスポーツ選手の躍動は、見る者の心の琴線に触れる。自分の命にも力が注がれたような気分になる。
 4月5日、サッカーの横浜FCのカズこと三浦知良選手が518日ぶりのゴールを決め、自身が持つ1リーグ最年長得点記録を「48歳1ヵ月10日」に更新した。
 カズは「幸せな瞬間だった」と話したらしいが、このニュースを耳にしたみんなが幸せな気持ちになったのではないか。
 それにしても、近年は年齢を重ねたアスリートの活躍が目につく。プロ野球では49歳の山本昌投手(中日)、テニスでは44歳のクルム伊達公子選手が第一線で戦い続ける。昨年のソチ五輪ではスキージャンプの葛西紀明選手が41歳256日で銅メダルを獲得し、冬季五輪史上最年長メダリストになった。
 いまの競技者はメディカル、栄養学など科学的な知識やノウハウを豊富に備えている。効率的にコンディションを保てるようになったことが選手寿命を延ばしているのかもしれない。
 しかし、選手生命を長く保てるかどうかはメンタルにかかっているのではないか。科学ジャーナリストのクリス・バーディックによる『期待の科学』にはこうある。
「人間は常に心の中に自らの限界を設けようとする。これ以上は無理と考え、自分の能力を抑制しようとする。しかし、この「限界」は変化していく」
「アスリートが肉体の限界に近づいた時、薬物にもハイテクを駆使した用具にも頼らないとしたら、あとほんのわずかの能力を発揮できるかどうかは、メンタルの力にかかっている。(中略)筋肉、心臓、肺のはたらきは最後は心に左右される」
 では、どうしたらいいのだろう。『期待の科学』にあるヒントを要約するとこうなる。「限界」をつくつているのは「管理者」である自分の脳なので、脳との駆け引きで「心のブレーキ」を外さなければならない。これは多くのランナーが実感していることでもあるはずだ。
 500日以上も無得点だったカズの頭の中に「もう得点できないのだろうか」という凝問が生じた瞬間はあったはずだ。その疑問は、肉体を厳しいトレーニングから解放し、自らを楽にしようとする脳が発しているものなのかもしれない。
 脳は「48歳にもなったら、もうサッカーは無理」という仮定をもとにブレーキを掛けようとしているはずだ。カズはちょっかいを出す脳と格闘しなければならない。
 やっかいなのは、自分自身の外側にもブレーキを掛けさせる「装置」が存在することなのではないか。世間には「48歳でサッカーは無理でしょう」という「常識」がある。
 多くのファンがカズの背中を押す一方で、その常識とやらが「もうやめたら」とカズにブレーキを掛けさせようとする。
 加齢との戦いというのは、実は「常識」との闘いであるのかもしれない。年齢を重ねたランナーも「その年になったら自己ベストの更新は無理」という「常識」と闘わなければならない。

本日の早朝ジョグ11km。別大の疲れは8割抜けたと思うが、見えない疲労もあるんだろうなぁ~。

2016年2月 9日 (火)

第65回 別府大分毎日マラソンへの取り組み(マラソン練習の一試案として)

先日の別大の走りに向けてどのような練習をしたのか?疑問をお持ちの方が多くおられることでしょう。

当然です。ボクのようなスピードが無いランナー(今シーズンのハーフで1時間20分切りは無し。でも別大のハーフの通過は1時間18分44秒の怪現象)がなぜ2時間40分をこの年齢(46歳2ヶ月)で達成することができたのか?

練習の詳細のすべては紙面の関係で書くことはできませんが、ボクのマラソンに対する練習の考え方と別大に向けての気持ちを備忘録として記しておきたいと思います。

えらそうなことを書く気はさらさらございません。あくまでも個人的な見地です。マラソンにこれをやれば絶対タイムが伸びるなんて魔法の練習はありません。一部でリクエストもありましたので、マラソンで記録を目指す方に少しでも参考になれば幸いです。



2012年12月。福岡国際マラソンで、15km地点での転倒というアクシデントに見舞われながら2時間39分48秒をマークし、転倒さえなければ、とさらなる躍進への期待が高まった。だが、新たなる闘いは苦戦を強いられることとなった。
 
2013年の春から職場での部署異動があり、慣れない環境が始まった。さらに追い打ちをかけるように2014年春に転勤。今までのように練習できるという環境ではなくなってしまった。さらに座骨神経痛の発症。そこから梨状筋症候群のおまけが付くこととなった。



それよりも問題だったのは、この故障以降、走ることに対するモチベーションが一気に失われてしまったことだった。それまでは、走れて当たり前、レースに出るたびに記録も伸びて、何の疑問も持たなかったのだが、ここへ来て、記録も伸び悩み、好きなように走れなくなり、故障までしてしまうと、一体何のために走っているのか疑問に思ってしまうのだった。

そう、新たなる敵はモチベーションの欠如だったのだ。「角番」である2014年の福岡国際マラソンも、走りながら心の隅には「もうこれで最後だな・・・」という諦観があり、翌年の福岡国際マラソンの資格を堅守せねばならないのに、2:45'02でフィニッシュ。事実上福岡国際マラソンの資格が剥奪されることとなった。



何のために走っているのか。その答えがなかなか見出せないまま、翌2015年1月末になってから朗報が飛び込んできた。

同い年でライバルのユニオンさんの勝田マラソンでの2時間40分切りの快挙である。ユニオンさんはボクと同じ時期に福岡国際マラソンに初参加。ボクより一足先に2時間40分を切ったランナー。さまざまな大会や尼崎NRで会うこともあり、ボクとしては常に目標としてきた。

そうか、彼ができたのなら、ボクもまだいける!故障さえなんとかなれば、もう少し練習さえすれば、再び2時間40分を切れる。何の根拠もないが、何となくそんな気がした。1週間後の昨年の別大では2時間41分台。気持ちが切り替わっても、練習は正直であるし、マラソンはそんなに甘くはなかった。でもわずかな光明が差し込んできたのは確かであった。

そうは思ったものの、今夏は足底筋膜炎を患い、20kmのペース走をするにも5kmごとにストレッチをしながら足のご機嫌を伺うという状態。日常生活で歩くときも痛くなることがもしばしばあった。今まで40分を切った時は夏場の走り込みがポイントだったが、やはり年齢的に限界か?頭の中のもう一人の自分が悪魔のささやきを始めた。


10月に入り気候も走りやすくなると、少しずつ調子も上がって来た。今シーズンのプランは10月の大阪マラソンから始まり、11月の福知山、12月の防府とだいたい中4週間間隔でマラソンを走る。レースを重ねていくうちに徐々にペースも上がっていくだろうと、楽観的に考えていた。

しかし思ったより記録は伸びていかず、自分の描いていた別大までの青写真は霞んできた。特に問題だったのが後半のラップの落ち込みだった。ボク自身5000mや10kmのスピードは自慢できるほどのタイムで走ることはできない。でも、今まで2時間40分を切れていたのは後半もしっかり粘ることができたからだ。だが、今シーズンのマラソンの状態はその粘りが全く影を潜めていた。

防府が終わってから、このままではいけないと思い、これまでのレースを振り返ることにした。問題点は後半に粘れる脚ができていないことだった。


色々と考えたあげく、行き着いた練習メニューのコンセプトは

  1. インターバルは封印する。マラソンペースを遙かに上回るペースでの短い距離でのランニングはフルマラソンの後半の粘りにはつながらないと判断。ボクの場合マラソンのペースは3'45/1km。そのペースで余裕は必要だが、福知山・防府の場合も前半はこのペースでほぼ走ることができていた。問題はスピードが無いことではなくではなく、このペースで走るスピード持久力が無かったのだ。
  2. レースペースを養うため15kmのビルドアップを行う。15kmのうちラスト5kmはレースペースまで上げ、LT値を強化する。これが事実上スピード練習になり、レースペース感覚を養うこととなる。
  3. 30kmのペース走を4'00/1kmで行う。このペースはある程度余裕があるので、別大まで3回行った。
  4. マラソンは3時間弱身体を動かすスポーツという見地から3時間という時間のLSD的なランニングを行う。所詮30km走は2時間前後のランニング時間。でもフルマラソンのランニングはそれ以上なのだ。40km走はそういう意味では効果的だが、一人でするには精神的にきつい。そこでペースは度外視したLSD的なランニング3時間近くを行うこととした。フルマラソンの後半(30km以降のことでハーフ以降ではない)の疲労を練習で経験するためだ。

以上の観点に基づく練習を年末年始にかけて行った。防府の後は前3レースの時に比べてレースの間隔が7週間となるので突貫工事的ではあるが少しは期間的な猶予はある。別大の3週間前まで上記のメニューに基づく走り込みを徹底的に行い脚を作り直した。

かつて、夏の時期にこれに近い練習はしたことがあるが、夏の暑い最中、ペースは全く上がらなかった。しかし、冬の時期は寒ささえクリアできればより実践的なペースで走ることができる。ただ、心配なのは故障だった。走った後のアイシングは可能な限り行い、未だ完治していない座骨神経痛と梨状筋をなだめつつ、何とか走れなくなるような決定的な故障は回避することができ、別大3週間前を迎えることとなった。

もうここまで来れば後は練習の絶対量を減らしつつ、練習の質を上げていき、疲労を抜を抜くだけだった。3週間前からの調整はいつも通りの儀式みたいなものでルーティン化している。故障と風邪だけはに気をつけ、食事も意識しつつ別大本番の最後の1週間を過ごした。

直前の金曜日からは別大でどんな走りができるかワクワク感がこみ上げてきた。自分自身「いけるんちゃうか?」と言う感覚に沸いてきた。同時に、「ちゃうか?」ではなく、「いける!」と断言に訂正しながら、頭の中で肯定的なイメージを作りつつレース当日を迎えることとなったのである。



本日の早朝ジョグ8km。

別大の激走の疲れは思ったより少なく、身体のダメージは最小限におさまりそう。

2016年2月 8日 (月)

第65回 別府大分毎日マラソン 完(感)走記

昨年に引き続き別大の参加。2回連続の4回目出場。もちろん目標は2:40切り。そのためだけに練習をしてきた。

だが、今シーズンはすでに3レースを走ってきて徐々にタイムは上がってきたものの、各レースで手応えらしいものはなかった。

直近の3レースは10月の大阪=2:49'13、11月の福知山=2:47'48、12月の防府=2:46'00。どのレースも後半の失速で目標タイムに届かなかった。

予定では12月の防府で40分台前半、最低でも45分は切って、2月の別大のステップにしておきたかった。しかし、以前にも書いたが、1週間前のぎっくり腰、2週間前からの風邪。防府は「とりあえず走る」ということになってしまい、別大につながるレースとはならなかった。

防府を終えて、防府の疲労が抜けきってはいなかったが、年末年始に走り込みを敢行。大きな故障をすることなく無事に終え、3週間前の調整もとりあえず無難にこなすことができた。

別大の最終調整が終わった金曜日の段階で、別大に向けてワクワク感が沸いてくる感じで過ごすことができた。どうなるのか結果が楽しみ、という気持ち。ただ、天気予報では気温が7度ぐらい。寒波が来ることで、寒いコンディションでのレースは嫌だな、との一抹の不安があった。

泊まるホテルも晩飯も朝食も過去2回の大会と同じルーティンを儀式的に行う。ただ、今回はいつもより朝と前日の餅を食べる量を少し増やした。おまけに受付のビーコンで販売していた杵搗きの餅も食べた。後半の失速はエネルギーの枯渇によるものも原因ではないかと思ったからだ。


さて、朝食を終えてホテルを出ると雨・・・・。空は晴れているところもあるので、多分一時的なものだろう、と思っていたが、気温の低い中雨が降るという最悪の事態は勘弁してもらいたい。気持ちは少しブルーに・・・・。

スタートまでは建物の3階でジッとして、本を読みつつ、集中力を切らさないようにする。アップは軽く13分ぐらい。流しを5本入れると気温の割に厚着のせいか、じんわりと発汗があった。これは思っていたより、温かい??当初は予想気温から、ランシャツではなくTシャツとアームウォーマーで走るつもりだったが、同じ番号のゼッケンの人たちのウェアの様子を拝見し、ノースリーブのシャツとアームウォーマーで走ることとする。


整列が終わり、スタートの12時を迎える。目標ペースは3'45/1km(5km=18'45)で25kmまで。その後は35kmまで3'48。後は3'55ぐらいか?後半は時計との計算の勝負でもある。


12時の号砲が鳴り、混雑の中でスタート。スタートラインまで4秒ほどロスがあったが、この人混み、転倒だけは気をつけなければと慎重に走る。

始めの1kmは3'48。ロスの4秒を除いたとしても少し遅い?今までの別大なら始めの1kmは30秒台だったが、慎重すぎたか?2kmのラップが3'35。まあまあか?3kmのラップが3'49、4kmのラップが3'27。上げ下げの幅が大きすぎる!ベース感覚ががバラバラだ。

こういうときは今までの経験からして後半失速することが多かった。嫌な予感がする。

5kmで18'39。設定ペースより6秒の貯金。でもこれぐらいでは少々心も許ないが・・・・。

今回はコース変更で第1折り返しがすこし延びたため、折り返しの手前と折り返してからに登り・下りがあり。気分的に嫌だが、これも後半のアップダウンの解消のためだ、とレース中、妙に納得・・・。しかし、この登りで今まで付いていた集団からこぼれてしまう。嫌な予感がさらに増長。

後ろから来た集団に付くが、ここから脚の動きをロスの無いように意識することに集中して走ることとする。そのせいか、少しペース持ち直すことができた。

ハーフの通過が1:18'44。何とか40分を切れるペースで推移している。まだ脚はへたっていない。26kmの大分市役所のカーブまでいい感じの集団に付くことができたのも大きい。25km地点でも設定ペース通り、かつ30秒弱の貯金がある。

25kmを過ぎてからは3'48に落ちても大丈夫。でもいい感じの集団なので、その流れに身を任せる。

今シーズンの過去3回のマラソンはこの辺りから我慢ができなくなった。今回は、ここまで走ってきて、しんどいのは当然だが、まだ我慢がでそうだ。

走り込みのしんどかったことを思い起こし、自分にかけ声をかける「ヨッシャー。ここからや!」


30kmのスプリットも設定タイムを切っている。まだ脚はいけるぞ!そして32kmで時計を見ると1:59'45のスプリット。あと10kmチョイ、4'00/1kmでぎりぎり40分が切れる。

でも、マラソンの後半、潰れたら普通に4'00/1kmなんてすぐにオーバーしてしまうことは何度も経験済み。まだまだ油断はできない。

しかも、35km手前から逆風が気になり始めた。35kmの折り返しでこの風は追い風になるはずだと信じ、この区間は我慢して粘る。

第2折り返しを通過。35kmのスプリットでタイムを計算する余裕は無いが、とにかく4'00/1kmは決して越えてはならないだけ。

37km地点を過ぎると、あと5kmの表示が見えた。よし!4'00/1kmで充分いけるぞ。1kmのラップも4'00を越えていない。時々3'40台も出ている。

そして、脚はまだ大丈夫だ!とにかく焦らず、しっかりと腕と脚の動きを連動させることだけを意識。風のも味方してくれているようだ。

太陽も照り始めた。この暖かみはありがたい。太陽がまるでボクの走りを応援している様だ。

あと4km、3kmとカウントダウン。40km地点も無事通過。この辺りから大腿四頭筋がピクッとしてきた。無理は禁物だ。キロ4で充分。

41キロ地点を通過。「あっ!」ボクの従兄弟だ!大分に住んでいるのだが、まさか応援に来てくれたとは。「ありがとう~」と叫び俄然気合いが入る。きついところでの応援はありがたかった~。

Img_1

Img_2

Img_3 (写真を撮っている人が従兄弟。しゃべりかけているボク)

あと1km。さぁ、どれぐらいのタイムでゴールできるか???競技場に入った。あとトラックよ3/4周。周りのランナーたちのペースも上がりボクもそのペースに乗せられる。四頭筋も大丈夫か?

いよいよトラックのホームストレート。時計は38分台から39分台へ突入。39分台か・・・・。でも充分だ!最後は別に写真もTVも無いのになぜかサングラスをはずしてフィニッシュ。コースに一礼をしてすぐさまトラック内の芝生に倒れ込む。

Img

ボランティアの人にタオルを掛けてもらったが、そのタオルに顔を埋めながら泣いた。

2012年の福岡国際マラソンで2:39'48で走って以来の40分切り。3年以上この気持ちを味わっていなかった。おまけにここ2年間は故障続きで満足な練習も積めず、正直もうダメか、と思ったことが何回もあった。

でも去年の勝田マラソンで40分を切った同年代のライバルの刺激もあり、自分を鼓舞し、自分を信じて諦めずに練習をした甲斐があった。

今回13km付近でペースが落ち、一瞬「もうダメかな」という、かなりネガティブな気持ちになったが、後半持ち直すことができた。マラソンでよく前半脚が重くても、後半に元気になると言うことを聞くが、今回はまさにそんな感じでだった。何回走っても、マラソンってまだまだ未経験のことがたくさんあります。


更衣を済ませて、競技場の外に出ると、なんと従兄弟夫婦と入り口付近遭遇。特急の出発時間のこともあり、短時間だったが、応援のお礼を述べ、
話をすることができました。一番しんどいところでの声援は、本当に助かりました。今回のコース変更で、従兄弟の住んでいるマンションの前を通ることになったそうで、ボクの父からボクの出走の情報を知り、応援に来てくれたそうだ。久しぶりこんなタイミングで会うことができるなんて、人との邂逅って不思議なものだと痛感。


その後、毎年恒例のふぐ雑炊もいただき、競技場を後にしました。

Img_

5回目の2時間40分切り。別大のコースベストと自分自身のセカンドベストのおまけ付き。46歳と2ヶ月での2時間40分切り。福岡国際マラソンへの出場権再取得。ボクにとっていろんな意味で思い出に残る大会となりました。

2016年2月 7日 (日)

第65回 別府大分毎日マラソン 結果速報

2時間39分08秒

やりました♪───O(≧∇≦)O────♪

詳細は後日に。 ただいま、ソニックの車中。

« 2016年1月 | トップページ | 2016年3月 »